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長期熟成酒 20周年記念座談会? 

杜の住人?:松岡
こんにちは。
6月21日の長期熟成酒のイベント申し込みは、本日までとなっております。
あと1時間半です・・・ご希望の方は事務局まで。
TEL(03)3264-2695


今回も、長期熟成酒研究会座談会の様子をお届けします。
座談会も8回目ですが、実はまだまだまーだ続きます。
A4みっちり、32ページ分ありますvv
ご期待下さい(←?)。


参加者は、4名。
岐阜県 達磨正宗 白木善次氏
石川県 百々登勢 梁井宏氏
岡山県 酒一筋  利守忠義氏
そして杜の長老、本郷信郎氏。

<20周年記念座談会?>
利守:「一つに級別制度があって、級別の認定で、まず色を取りなさいというのが、まず条件でしたね」

白木:「ちょっと教えて下さい。級別制度が出来たのは、何年から? 」

梁井:「戦後、かな?」(注:昭和18(1943)年4月より)

利守:「その当時は、最初から今の特級・1級ではなく、準1級からとか」

梁井:「級別がなくなって、48年ですね。48年間ありましたから」

利守:「すると、昭和20年代ですか?」

梁井:「ええと、級別制度がなくなったのが平成元年かな。
とゆうことは1992年くらいですか?
それから50年前ってことは、1940年代だな」

本郷:「その頃、西の関さん(※1)に私は呼ばれた事がありまして。
何だったかというと、西の関は昭和36年から酒を寝かせていた(※2)んです。
あの当時、税務署が指導して、来年に売れる分だけ造ってよろしいと。
だから生産計画出して、販売計画出して、在庫があるとお宅はこれだけですよって」

白木:「やりましたよ」

本郷:「そうしたら、西の関さんは来年の製造量は“0”だと。
で、どうにかならんかって、話聞いて行ったんです。
それで酒税課でいろいろまぁ、話しまして。
それで結局、『1月に統計を取るから、それまでは地元の税務署の言う通り出して下さい』って。
『1月統計取ったら、後、修正申告出して、造ってよろしいですよ』と。
その時、級別審査は、3月締め切りで残っている酒があると、1級酒が2級酒に自動的に格下げされたんです。
それで再審査出さなければ、1級にならない、ところがあの当時で1キロかな1石かな?それ以下だと、審査に入れられない。
すると、古いものは全部2級酒になってしまう」

利守:「特級は500ℓくらいじゃなかったですかね?」

本郷:「それはね、500ℓに直させたんです。
帰って来てから酒税課に話して。『それはすぐに直るから、直しましょう』と。
だからそれまでは、酒税課行ってすぐ直せなんて、そんな恐れ多い事考えられないから。
とにかく級別制度が、長期熟成酒にとっては、米の問題と合わせて、造れない状態が・・・」

梁井:「ありました。おっしゃる通り、うちでも昭和43年から熟成酒を売り始めたんですけど、年度末の在庫で、次の年の製造数量が決まってきた。
年度末在庫が多いと、造る量は減る。
だからあの時、弊社の社長が中央会の需要開発委員長をしていて、大分運動して、熟成酒用と二つ作れと、いう事になったんです。
何年か僕はちょっと記憶ないですけど、多分40年代の終わりくらい」

本郷:「あぁそうでしょ」

梁井:「これは長期貯蔵用だと。これは1年で出す酒だと。
二つ年度末の数字を出して、それで製造数量確保したっていう記憶があります」

本郷:「じゃあ、後でそうなったんですね。
そうでなかったら、萱島さん(西の関)『頑張ってやったら、来年0だって言われた』と言うような事はありませんから」

利守:「当時の市場での古酒の販売と言ったら、萱島さんの酒を皆、古酒の一つのモデルとしていましたね、当時は」

本郷:「ところがね、暮にフジテレビで『築地の魚と日本の酒』という番組で、萱島さん(西の関)の秘蔵酒を持って来て、その他も何種類かありましたけど。
フジテレビは、支援に小円遊さんを出すという計画で。
打合せではちゃんと、日本の秘蔵酒の話もする事になっていたのに、『俺は群馬県だから』って群馬県の酒の話ばっかり。
秘蔵酒が1本しか出ない。おじいさんが1本買って行っただけで。
そんな時代だったんですね。
飲んでみたら皆さん『美味しい』。だけど買っては行かなかった」

白木:「この話は皆さんの前でした事あると思うけど、その当時、名古屋国税局から、3年続けて来ましたうちには。
来た言い分は『ヤメロ』という事でした、熟成酒を。
彼の言い分は、こうゆう言い方でした。
『ここに清酒免許があるのは、ここの酒が売れて、国へ酒税、税金が入るという事が前提だ。それが免許の本官(本来の職官)だ。
だから貴方のところを見てると、色のあって売れそうにない酒がどんどん在庫増えていくのを、監督官庁としては黙って見過ごすわけにはいかん』と。
僕は『そうですか。』って言っておいてね。
するとね、今でも来るけど、細かい、記入するね、何ℓあって、どうなったってずっとあるじゃないですか、あれがマイナスになってしまう」

梁井:「結局そうゆう事ですね」

白木:「貯蔵量が多くなるとね。でも僕は強かったな・・・
『そんなもん、自主規制やないか。そんなもんお前らが何と言ったって僕は酒造るぞ』と。
僕は一言言っただけです。米も段々自由になってきてましたから。
後から、今の三輪さん、濁り酒造ってる蔵の主人が・・・。
名古屋の名鉄百貨店の酒売場に行ったら、その当時久納さんという方が、僕にこうゆう事言ったんです。
『オイ白木さん、変な事言っとったぞ。なんだ、あんたんとこ酒造れんのやってなぁ』って。
どうしてって聞いたら、
『三輪さんが来て、ホントは白木さんとこは規則からいったら酒が出来んのやけど、連合会長の私の権限で、酒を造らせとる』って。
あの人とはよくケンカした」

利守:「確かに、あの当時の製造計画を立てる時に、1キロ、2キロでしたね、増やせるのは。
4キロも置いたら絶対通る話じゃなかった。
大体1キロ、2キロを熟成酒としての造ると、認めさせる事が、精一杯だった。
(タンクに)2本も3本も造るって言ったら、もうとんでもない、それは絶対、税務署は判子つけない」

白木:「それで言ってきたんです。3年続けて来て『黙って見過ごすわけにはいかん』と。
僕は頭にきてしまって、3年目の頃には、
『あんたらあんまりそんなん言うのやったら、今のような自由経済で、これ程いろんな挑戦をして、他の業界がいろんな事をやっとる時に、そんな事言いよったら、出るとこ出て勝負するか』って言ったら、来なくなりました。
普通はあそこで潰されますね」

梁井:「それは、普通は役所とケンカして勝てるわけがないですよ」

※1・・・西の関さん
 大分県の萱島酒造さま。銘柄は西の関。大吟醸の長期熟成酒『秘蔵酒』が有名です。

※2・・・昭和36年から寝かせておいた
 西の関さんは、昭和30年代から大吟醸の長期熟成酒に取組んでおられました。
 長老曰く。昭和36年のものが一番古いそうです。
 造られた年によって、大吟醸は微妙に酒質が違うので、10年後、20年後の変化が楽しみだそうです。


今回はちょっと長かったでしょうか。
熟成酒の製造を巡る戦いは、次回へ続きます!

ランキングも応援お願い致します。


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