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残された長期熟成酒が叶えた夢-江戸期の酒の復活を- 

杜の長老:本郷

江戸期の酒、仕込配合は麹が40%位だった。
そんな濃醇な酒を試みていた酒造家があった。

長野県須坂市、善光寺のある長野市から長野電鉄で約12分、
湯田中温泉にも行ける電鉄の途中の街。
市街地の坂を登った台地に、その酒造家三蔵酒造(株)はあった。
戦国時代から藩同士の戦(いくさ)が少なかった長野県は、
歴史の古い酒造家が多い。
しかし、残念なことにこの蔵の創業年のデータは残っていなかった。

昭和60年(1985年)頃のことだった。
先代がなくなり、後継ぎの息子さんは酒造家を廃止してマンションをつくり、マンション経営をすることで、
酒造家の処理をしたいとの話が持ち上がったのだった。
先代は、戦前に多額納税貴族院議員であったが、
酒造業にいろいろな夢を持っていた方のようだった。

一つは、麹の仕込配合を多くした、江戸期の酒の復活を計ったことである。
この造り方で、酸が大量に発生して腐造に発展してはいけないとの心配からか、
リン酸石灰を大量に用意。そして麹を2回使う仕込であったらしい。

二つ目は、人間が2人は入るだろう大甕に、自家用の梅酒を大量に造って、長期熟成もさせていた。

当時(長老が見に行った当時)は日本酒に級別があった時代だった。
ホーロータンクに貯蔵され、熟成されていた(当時で言う)2級酒は、
真っ黒と表現したい程の着色があり、
タンクの底は、黒いオリがビッシリと固まっていた。
もう一つの1級酒は、量も少なく、着色は少々であった。

この2つの酒について、
「2級酒は清酒としてはダメだろうから、蒸留するアルコールの原料として、1級酒は出来れば清酒として処理したいので、きき酒して見て欲しい」
と長老は依頼されたのだった。

先方が「ダメだろう」と言った2級酒、ところがどっこい。
この2級酒は、素晴らしい長期熟成酒になっていたのである。
ビーカーに、タンクの上澄みを汲んできて光を当て、色を見ると(※1)
・・・澄んだ深紅で、やや黒褐色に見えた。
酸は3.2~3.4ccくらいあったのだが、舌では、その酸はあまり感じられず、普通の1.6cc程度に思えた。
まるく、調和のある重さを感じながらも、喉元はサラリと通過する・・・。
いや、素晴らしい長期熟成酒だ!
昭和44~47年頃(1969~1972年)の酒だという話だった。
先代が誰かから、伝え語られた江戸期の酒の復活を試みたものと、推定された。
蔵の酒造用具も、新品に近い麹蓋、秋田杉の真目の板を使ったもので、酒造に注ぐ意気込みを感じるものだった。

酸があり、ボディの大きな酒は、麹の量と相俟って、ワインのマディラのように、何十年、何百年も成長を続ける酒になるのではないかと、本当にビックリする出逢いであった。
タンクの底に沈殿した真っ黒なオリは、オリ分けするのに大変な苦労だったろうと思う。
先人の夢、ロマンの大きさに、ただ驚くばかりの時をもったのである。
酸がこれだけあると、熟成には長い年月がかかることは、後年解ったことだが、
30年を過ぎたら、素晴らしい香りを四囲にもたらす酒に成長しているであろうと、振り返っている。

※1 長期熟成した清酒は、着色が見られます。
   淡い黄色、黄金色、茶褐色、黒褐色、深紅、暁色など、
   様々な色合いが見られますが、光に透かして見ることで、
   透明度がわかります。良い熟成酒ほど、透明度は高く、
   濃熟タイプの古いものでは、ルビーのような「輝く赤」を見ることが出来ます。


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