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隠された最後の大吟醸-壁の中の秘密- 

杜の長老:本郷

昭和16年の大吟醸<福岡 森永酒造>

昭和16(1941)年、日本はどんどん戦時色が深まっていた頃。
この年、酒造メーカーは、それぞれの税務署単位にまとめられ、統廃合されて1つの会社形式をとることが、国策として進められていた。

森永酒造?もそんな会社の一つだった。 
 福岡県三潴郡三潴町玉満2773
 代表銘柄は「薫盃」  後に社名を変更し?杜の蔵に。
 昭和16BY 生産場数 6,986場 200万石
 昭和17BY 生産場数 6,850場 160万石
 昭和18BY 生産場数 3,224場 106万石
 迫り来る戦時色。原料米の割当不足から、減産につぐ減産の時代の、貴重な酒。

昭和16年、廃止工場に指定され、翌年度からの製造が停止されることになった。
この最後の製造年(S16年度)の大吟醸が大変出来栄えの良い酒であった。


時は流れて、昭和61年。
長期熟成酒研究会の代表幹事会の夜、銀座の「ザ・ワイン」で、山本博先生が海外で買われた
ヴィンテージワインと、長期熟成清酒のきき酒をして、比較検討する会が行われていた。
この会に、西武デパート渋谷店の酒売場でマネジャーをしていた池上義明さんが、「これは皆さんできき酒するべきお酒だ」と、このお酒を届けてくれた。
(この頃、西武渋谷店には長期熟成酒コーナーがあり、渋谷銘酒会の開催、きき酒・講演が開かれていた。長老は、この講師を務めていたこともあり、このお酒を届けてくれた。人の縁とはありがたいものである)

それまでに、大吟醸でこれ程の熟成期間を経た酒は体験したことがなかった。
初めての大吟醸超長期熟成酒。
その味と香りの素晴らしさには、ビックリするだけであった。

その後、この酒の生い立ちが、徐々にわかってきた。
翌年の廃止工場に指定され、最後となった大吟醸はあまりにも美味しい酒で、税務署に内緒で蔵の中に、30本程隠しておいたらしい
となると、この酒は蔵内常温で熟成されてきたのだろう。
オマケに、蔵の建替えの時に見つかったそうだから、紫外線の当たらない場所にあったと思われる。
貯蔵熟成条件の誠に整った場所に、こっそり、ひっそり隠されていたのだ。

さらに5年後(平成三年?)。
長期熟成酒研究会の勉強会(千代田区の飯田橋会館だった)に、特別出品酒として持ち込んだ。
振動が熟成酒に良くないとのことで、わざわざ飛行機の手荷物として1.8ℓ瓶を運んだ。
開栓は、当時東京農業大学教授の吉沢先生。

昭和16年の大吟醸は。
ガラスを心棒とするコルク栓。
栓の上には「吟醸直詰」と印刷された王冠。
いざ蓋を開けると、コルクはボロボロと崩れ、酒の中に落ちたので、布を使って一部を濾過、デキャンタに採ってきき酒された。
開栓と同時に、その場には荘厳と言うべきか、皇帝の高貴な香り(先に紹介した、大澤酒造の元禄二年の酒の香りと、似ている香りであった)と表現すべき香りが立ち、次第にその香りは瓶の置かれたテーブルの上から、下を這うように四囲に拡がっていった。
味は、吟醸の上品な味の中に深みを入れ澄んだ味が、口の中で拡がる。
細やかな細やかな味の粒子が、押し寄せながら喉元を整然と滑る感じで、余韻は深い感動を与える。

1.8ℓの酒の内、半分がきき酒に、少量が東京農大での分析に、そして720mlは蔵元に返却された。

またこの酒は、45年目(昭和61年のきき酒)から50年目(平成三年のきき酒)にかけて、熟成の成長が見られた。清酒の熟成による成長はどこまであるのかと、興味深く思った。

現在、蔵元に数本。北九州のひらしま酒店(勉強グループ会員)に未開封の1.8ℓ瓶1本が残されている。
この酒の何本かの味をきかせていただいたが、1本1本に微妙な味の差があることもわかった。
今、65年目・・・・・きっとその後も成長しているのではないだろうか。
これらが再び開栓される時には、ぜひきき酒させてもらいたいものである。生きておられたら・・・だが。


追記:
 手許に写真がなく、UPできないのが残念デス(>_<)


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