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帝王の酒 元禄弐年の酒 

杜の長老:本郷

20070227153959.jpg

元禄弐年(1689年)の酒 
 長野県 大澤酒造?

そこに、開閉するふた付きの木箱が持ち込まれてあった。
古い新橋の第一ホテルの客室で、その包みは開けられた。

長野県旧中仙道 茂田井宿にある大澤酒造?の、創業年の酒は、
古伊万里の白い壷におさめられ、桐栓を漆で封じてあった。

壷は前面にひび割れがあり、ひび割れから真っ黒になった酒が染み出て、
下部に厚く・・・重力で酒が重なった感じであった。

昭和44年 当時にNHK「朝のスタジオ102」で開閉される前夜だった。

『決して開けてはならぬ』と言い伝えられた酒で、代々その掟が守られてきていた
木箱は、そのままの形を残している。
創業時から13代目の当主 大澤進さんがこれを開栓し、社会に出すことを決意したのは、
当時の東大の教授、酒の神様とも言われた、故坂口謹一郎先生の強いすすめであった
と、後々聞いた。

壷は720ml位入る大きさの容量であったが、振ると"とことこ"と音がした。
実際の中身は1/5位しか入っていない音であった。
ひび割れから染み出していた酒は、
ねっとりとしていて、
真っ黒で、
壷の下の方にねっとりと重く、鍾乳洞に垂れ落ちた飴石のような感じであった。
この垂れた酒に鼻を寄せて香りをかぐと、
この世でもっとも微細な、
高貴な香りが、
そこに散りばめられて、生き生きとしている感じで、
指に乗る酒の雫は、溶け出すのに時間があったけれど、
口の中で爽やかな感じのものであった。

この酒は、後に当時の醸造試験所で分析された。その結果、アルコール分 24度。
当時はアルコール24度もの酒は出来ていない。
それは壷に出来た「ひび」から、分子の小さな"水分子"が飛び出して、分子の大きな
"アルコール分子"は残されたという、天然の蒸留が行われた結果であると思う。
この小さな水分子5~6個(7~8個の説もあり)で、アルコールの分子を囲むと、クラスター
の状態が出来る。
我々が目にする酒の状態は、まだまだ多くの自由水があるという事を理解した。

その後、故坂口謹一郎先生宅に持ち込まれたこの壷。
開栓時の状況が、坂口謹一郎全集 第1巻の『新酒古酒の部』に書かれている。

元禄弐年、この年は全国で創業を開始した蔵が多い。
当時酒は、各藩の課税対象になっていたと思われ、原料の米も、豊作・不作によって
量を規制されることが多かったことから、この年の前には豊作が続いていたのかもしれない。

酒の分析をなさったのは、醸造試験場長にもなられた東京農業大学の野白先生であったと聞くが、
先生ももう既にない。

今、この酒を知っている生き残りは、
大澤会長と、私だけになってしまった。
歴史ある酒の話を、伝えていきたいと思う。


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